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2019/09/02

ヴィクトリア・ピークへのバス

 香港に来たらここに行かなくてはお話しにならない。香港島の最高峰・大平山の山頂付近にある展望台で超有名スポットなのだ。

 朝ホテルから送迎バスで、カオルーンホテルの前まで送ってもらう。尖沙咀から地下鉄に乗って金鐘で下車する。ここからピーク・トラムの山麓駅まで徒歩で行こうとするが超高層ビルや立体交差が入り組んでいてどこをどう行ったらいいのか皆目見当もつかない。この未来都市のような超高層ビルの狭間で家族3人が路頭に迷っている画もなんだか滑稽ですらある。

 そのうち偶然、山頂行きのバス乗り場X15の前に出た。値段も手頃だし山頂まで直行で行ってくれるらしい。大人HK$12.4だから3人でHK$37.2、細かいお金が無かったのでHK$38を払うもお釣りはなし。香港ではバスやトラムではお釣りが出ないので小銭は用意しておいたほうがいい。

 香港のバスは二階建て、早速二階席に陣取る。バスは市街をぐるっと一周して山岳路に入る。この道がめちゃくちゃ狭い。大型バスがぎりぎり通れる広さ。しかも左側は断崖絶壁、一歩間違えば谷底に真っ逆さま。道はクネクネしてるし、道の両側から伸びた木の枝が容赦なくバスの天井にガツガツ当たる。これがかえってスリル満点。なかなか楽しい。バスはグングン坂道を登り程なく山頂に着いた。

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マカオの日本人ガイド

 マカオの聖ポール天主堂跡前の長い階段を下りた所でそれは起こった。中国人の3歳くらいの男の子がお母さんに対してだだをこねていた。まあよくある風景ではある。お母さんは大声で息子を罵倒すると、子供はますますエスカレートし、大声で泣きわめき、持っていたおもちゃのミニカーを地面に叩きつけた。

 僕は何気なくミニカーを拾い上げ子供に渡してあげた。するとガイドのおじさんは激怒し、

 「駄目、駄目。やつら(中国人)は、『お前が拾ったから壊れたんだ!』とか何かと難癖をつけてくるから、そうゆう事をしたら絶対に駄目だ。」

 とみんなの前で叱られた。あまりいい感じはしなかった。僕は何気なく拾い上げて子供に渡してあげただけなのに。日本では当たり前のようにする行為が異国ではいけないことなのか。

 「困っている人がいても無視して下さい。あとでいろいろいちゃもんをつけられるのが落ちですから。」

 その現地の日本人ガイドは香港にもう何十年も住んでいると言っていたが、日本人の謙虚さ思いやりみたいなものをどこかに置き忘れてきてしまったんだなあと思った。

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2011/08/31

長野旅行(2011/8/19)

【川中島古戦場】
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いわずと知れた「川中島の合戦」が行われた史跡。ただ合戦は犀川と千曲川がはさまれた広範囲で行われていたのでここが主戦場というわけでもないと思うが。この場所から上杉謙信が陣取っていた妻女山を望むと、武田信玄の陣地であった海津城とは意外と近いことがわかる。こんな近くでにらみあってたとは現地に来て見ないとわからないものである。川中島の合戦は計5回、12年にも及ぶ。あの山本勘助や信玄の弟である信繁も亡くなっている。

【善光寺】
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長野と言えば「善光寺」、絶対はずせないスポットである。が長野にはスキーで何十回と訪れているが、実は善光寺参りは初体験。「このばち当たりがぁ~」と神様から怒られそうである。団体客が多く、人・人・人、ものすごい人手である。参道沿いにはみやげ物屋の呼び込みがさかんだ。本堂に入り「お戒壇巡り」をしようにも大行列にびびってしまい、「おびんずるさま」の頭をなでて退散いたしました。平成19年に大修理された山門も必見である。

【長野県信濃美術館・東山魁夷館】
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絵を見るのってあまり好きじゃないんだよね。でも妻が美術品が大好きなので仕方ないです。まあこんな僕でも「東山魁夷」の名前くらい知ってますよ。青い森や湖の絵の中に馬とかいるやつでしょ。でもあまり好きになれないなあ。

【戸隠そば】
戸隠といえばそば。戸隠神社に向かう道沿いで適当に入った店が「大久保の茶屋」、創業200年の老舗らしい。そば定食の2300円は当然パス。にしんそばを食す。まあおいしかったです。本当はざるそばとかの方がよかったかも知れないけど、にしんが食べたかったんです。あと山菜3種盛りってのも頼んだけど、こちらはいまいちだったかな。「ってあんた、山菜あんまり好きじゃないでしょ!」って突っ込まないでね。

【戸隠神社】
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もうこの辺では「早く帰りたい病」にかかっていて、「もう神社なんかどうでもいいや」って思ってたけど、妻のどうしても攻撃に屈してしまった。帰りの運転の事を考えるとなるべく体力を消耗したくないのでありんす。それでもここは創建2000年の歴史を誇る由緒ある場所であるらしい。奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火乃御子社の5社からなる。

神社の周りは、美しい池が点在し戸隠の山々を眺められる絶好のスポットでもある。樹齢何百年という杉林の参道をのんびり散策するのもきっと素敵なんだろうなあ。機会があればまた再訪したいと思う。その時は電車で来ようかな。

長野旅行(2011/8/18)

【原田泰治美術館】
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美術にそれほど興味があるわけじゃないけど、好きな画家の一人。草の一本一本、瓦の一つ一つを細かく丁寧に描いている。その気の遠くなるような細かな描写がすごい。一見誰でも描けそうな絵だがそうでもない。日本全国を巡り、日本のよさを絵画にうまく残している。友人のさだまさしさんが館長をしております。

【松本城】
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「美しい。」松本には何回か来ているが、なぜか松本城だけは来たことがなかった。思ったほど大きくはないが、黒塗りの城は珍しい。彦根城などに比べて破風(はふ)が少ないのでややすっきりとした感はある。平日にもかかわらず観光客が多く、天守閣に入塔するのに30分以上待たされた。

【国民宿舎・松代荘】
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ここの温泉は結構有名。川中島の合戦でけがをした武者が、傷をいやすために入ったと言われている。湯殿は外来客も入れる外湯と宿泊客だけが入れるこじんまりとした内湯の2つに分かれている。鉄分が含まれているのか湯の色は茶色で薬効成分も何やらたくさん入っていて体にとてもよさそう。部屋もきれいで広く快適。ただ空調が古いのかうまくコントロールできなくて暑くなったり寒くなったりする。おまけに「ゴー」とうるさいので寝つきはあまりよくなかった。

2011/08/24

松代象山地下壕

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8月18~19日と家族で夏休みの旅行に長野方面に出かけた。

宿を松代町にとった。ここは川中島の古戦場の近くで真田家の本拠地でもある。宿でくつろぎながらパンフレットを見ていると「太平洋戦争の遺跡・松代象山地下壕」が目に留まった。「どうせただの防空壕だろう。」と思ったがせっかくだから見てみたいと思った。

翌日朝一で地下壕に向かう。駐車場から結構離れていて徒歩7分くらいか。入り口に管理人がいるが入場料は無料である。「ヘルメットをかぶって下さい。」と気さくな感じの管理人のおじさんが言う。

 「どっから来たの~?」
 「静岡からです。」
 「あー、そうですか。まだ夏休みですか?」
 「はい。」

てな感じで人懐っこいおじさんは、客が僕達しかいないこともあり話し出したら止まりそうもない。ちなみに長野地方は夏休みが昨日(18日)で終わりで今日から始業式であるらしかった。

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早速、壕の中に入ってみる。入り口はかなりせまい。最初は下りになっていて天井も低く、頭をぶつけてしまいそうなほど。足元はしめっており所々ぬかんでいるので注意が必要だ。所々に照明があるので歩きにくいことはない。しばらく歩くと右に曲がる。結構奥まで深い。予想をはるかに上回る規模だ。

壁面は強固な岩盤ではあるが、地下水がにじみでていてこけが生えていたりする。真夏だというのに壕の中は寒いくらいである。さらに奥に進む。だんだん穴の大きさが大きくなってくる。観光客は僕達のみ。時々立ち止まってみると音が全く聞こえない。無音の世界。なんなんだこの感覚は。時折水のしたたり落ちる音が聞こえるのみ。

 「ぴちゃ~ん」

もし一人だけだったら恐怖で失禁してしまうかも知れない。

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曲がってから250mほどすると今度は左へ曲がるここからさらに250mほど奥に進む。最初に予想していたよりもはるかに大規模な地下壕いや地下要塞である。壕が縦横無尽に網の目のように掘られている。なんでも太平洋戦争末期に本土決戦に備えて、この地下壕に大本営、政府各省をここに移す計画だったらしい。首都機能移転である。恐ろしいことだ。動員された作業員はのべ300万人、当時の金で2億円の費用がかけられたらしい。

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この工事では多くの人が亡くなっている。落盤事故、発破での事故、過酷な労働による病死、自殺など。壕の奥には供養のためか千羽鶴がたくさん飾られている。悲惨な戦争の遺構がこんなところにあるなんて思いもよらなかった。マスコミにもほとんど取り上げられたことがないのではないか。意図的に国が隠し続けてきたのかも知れない。戦争の汚点でもあるのだから。

施設は70%の進捗率で終戦を迎えた。なんでもこの工事を完成させるために沖縄戦でアメリカ兵を足止めさせていたとも言われている。こんなものを作らなければ終戦はもっと早く終わらせることができ、沖縄、広島、長崎の大量の犠牲者を出さずに済んだかも知れないのに。胸が痛む。

蓬莱橋を渡った

「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」

と昔からよく言われたものである。

東海道でも屈指の難所であった大井川に木造の橋が架けられたのは、1879年(明治12)1月13日である。ただ木造橋であったため台風や大雨による川の増水で幾度となく流されていた。そこで1965年(昭和40)に橋脚をコンクリートの頑丈なものに作り変えた。

現在の橋は、全長897.4m、幅2.4mで地元の人の通勤・通学にも使われている。1997年(平成9)にはギネスにも認定され全国的にも有名になった。

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通行には大人100円、小人10円がかかる。橋を渡り始めるとみしみし揺れるのがわかる。橋の欄干に腰掛けてみるとちょっとスリルがある。ただ欄干が低いので川に落ちても当局は一切関知しないのでそのつもりで。度重なる風雨により橋のところどころが腐食していてはがれているところもある。数年毎に架け替えが行われているのであろうか。

幅がせまいので、復路を歩いてくる観光客とすれ違う時に肩が触れ合いそうになる時もある。接近するためか自然と「こんにちわ」とあいさつしてしまう。当日は雨が降ったりやんだりの曇空だったので、大井川の水かさも多く、橋のたもとを覗き込むと結構迫力があった。

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2011/05/10

四国旅行4日目【坂の上の雲ミュージアム】

■坂の上の雲ミュージアム
 司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」に関する資料が展示されている。正直、僕はこの作品についてほとんど知らなかった。そういえば以前TVでも特番を組んでいたことを思い出した。帰静してから早速ネットオークションで「坂の上の雲」全巻を取り寄せた。本を読んだらビデオで見直してみるか。

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■萬翠荘
 大正11年、旧松山藩主 久松定謨伯爵の別邸として建てられたフランス風洋館。愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート作り。昭和天皇も宿泊したことがあるようだ。入り口を入るとなにやらカビ臭いにおいがした。「ちゃんとファブリーズしておけよ。」と受付のおねえちゃんに言いたかったがやめておいた。この建物の近くには正岡子規と夏目漱石が俳句を語った「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」という建物もあったが、気がつかず見学できなかった。残念!

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■瀬戸大橋
 「いやあ、でかい!」 間近で見ると迫力充分。与島PAで休憩がてら写真を撮った。車が通る車道の下には電車が通ってます。運がよければ電車が走っている場面に出会えるかも知れません。ここのPAの食堂は結構うまい(PAにしては)のでおすすめです。

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 この日松山を出たのが昼前で、浜松までの距離は600Km超。休日とあって休日割引が使えるのでもちろん全線高速道路を使ったが、家に着いたのが夜の10時過ぎ。GW前半の29日ということもあって途中渋滞にまきこまれた。

 当初は「新名神→東名阪」のコースで帰ろうと思ったが渋滞15Kmと電光掲示板で出ていたので名古屋経由で
帰ることにした。旅の疲れと長距離運転のため、途中からは睡魔との闘いで、途中SAで仮眠を取ったりして、なんとか無事に帰ってくることができた。やはり強行軍はよくないね。せめて400Km/日くらいにしておかないと疲れるね。

四国旅行4日目【松山城】

 松山城は、海抜132Mの勝山山頂に本丸、中腹に二の丸、山ろくに三の丸(堀の内)を置く連郭式平山城である。1603年(慶長8年)加藤嘉明が築城に着手し、1627年(寛永4年)に完成している。当時天守は5重であったが、1635年(寛永12年)に入城した松平定行が寛永19年に3重に改築している。これは防災上の対策であったとか、あまりにも華美であったため江戸幕府に配慮したためだとも言われている。

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 普通、天守閣は有事の際に最後の砦となるところなので、普段は人は住まない。そのため天井、畳、ふすまなどはないのだが、ここ松山城の天守は天井があり、たたみも敷ける構造となっている。床の間もあり襖を入れる敷居まであるのだ。

天守閣もすばらしいが、石垣が素晴しい。石垣を積んだ時代によって、積み方が違うのも興味深い。

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■松山城、朝の開門風景

四国旅行3日目【道後温泉】

 せっかく松山に泊まるんだから有名な「道後温泉」に行かない手はない。ホテル前の市電に乗って道後温泉まで行くことにする。市電は一律150円で降りるときに料金を払う。市電というものにほとんど乗ったことがないのでわからないが揺れが半端ない。しかも停止するときに「ギィイイイイイーーーー」とものすごいブレーキ音がする。あとコンプレッサの音だろうか「バタンバタン、ブボボボボォー」とかものすごい音がする。他の乗客は慣れているのかまったく意に介さない。僕は、大きな音がするたびに身構えてしまう。回りからは浮いていたかも知れない。

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 市電の終点が「道後温泉」の入り口である。有名な「坊ちゃんからくり時計」の前には、ひげの案内人(ボランティア)のおじさんが講釈をたれている。このおじさんもかなり有名な方らしい。定時前になると突然大きな声で歌いだしてびっくりする。


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 からくり時計の近くには、明治時代の衣装を来たかご引き(?)のあんちゃん達がたむろしている。そのあたりから道後温泉商店街の入り口となる。道後温泉のみやげ物屋が軒を並べ、浴衣姿の観光客と店員のかけあいで賑やかである。商店街も120mほどで突き当たりそこを右折して50mも行けば「道後温泉本館」に到着する。

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 道後温泉はいわゆる温泉街なので温泉旅館やホテルが林立している。ホテルにももちろん温泉はあるのだが、道後温泉に来たからにはここ「道後温泉本館」に入らなければうそである。別にどうってことのない銭湯であるのだが、かの夏目漱石が足しげく通ったとか、明治27年に建てられた由緒ある建物であるから、もてはやされているのかはよくわからないが、とにかく有名らしい。

 入浴方法は4種類ある。なんだか説明がややこしくてよくわからないので、1番安い銭湯に入るだけのコース、「神の湯階下コース」の400円にした。休憩付きだと800円になるらしい。湯船はいたって普通で天井がかなり高い。シャンプーも石鹸も備え付けてないので持参しなければならない。あとでわかった事だが、ここは湯船が2つあるようだ。入り口が分かれているのでわからなかった。ただどちらもほとんど同じ構造なので1つ入っておけばいいだらう。


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2011/05/08

四国旅行3日目【松山市内】

 高知から松山へはR33号を通って3時間あまり。122Kmほどある。道幅もそれなりに広く酷道として有名なR439(よさく)のような事はない。まあそれだけつまらない道だけど。ただ松山市に入る前の三坂峠からの眺めは絶景で、夜であれば素晴しい夜景が望めるのではないか。

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 松山市内に入ると渋滞に巻き込まれた。ちょうど帰宅ラッシュに重なったためだ。ちょうどいいのでのろのろ運転をしながらガイドブックで本日泊まる宿を調べた。県庁前の「ホテルアビス松山」が、松山城にも繁華街にも近いのでよさそうだ。電話をかけるとすぐに予約がとれた。1拍朝食付きで5400円は安い!

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 ホテルへ行く前に松山市内を車で流す。道後温泉にも行ってみる。高知でも松山でも路面電車が通っているので右折する時がやっかいだ。市電専用の信号機があるのだが、最初それがわからずに右折する時に後ろから来た路面電車に追突されそうになった。線路上で停止するのはどうやらご法度みたいだね。

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 ホテルに着くとフロントには係員が一人だけ、徹底的にコストダウンが計られているようだ。部屋の鍵はカード式で、カードを使って自動清算機で前払いで清算する。部屋もきれいでなかなか快適だ。


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