松代象山地下壕
8月18~19日と家族で夏休みの旅行に長野方面に出かけた。
宿を松代町にとった。ここは川中島の古戦場の近くで真田家の本拠地でもある。宿でくつろぎながらパンフレットを見ていると「太平洋戦争の遺跡・松代象山地下壕」が目に留まった。「どうせただの防空壕だろう。」と思ったがせっかくだから見てみたいと思った。
翌日朝一で地下壕に向かう。駐車場から結構離れていて徒歩7分くらいか。入り口に管理人がいるが入場料は無料である。「ヘルメットをかぶって下さい。」と気さくな感じの管理人のおじさんが言う。
「どっから来たの~?」
「静岡からです。」
「あー、そうですか。まだ夏休みですか?」
「はい。」
てな感じで人懐っこいおじさんは、客が僕達しかいないこともあり話し出したら止まりそうもない。ちなみに長野地方は夏休みが昨日(18日)で終わりで今日から始業式であるらしかった。
早速、壕の中に入ってみる。入り口はかなりせまい。最初は下りになっていて天井も低く、頭をぶつけてしまいそうなほど。足元はしめっており所々ぬかんでいるので注意が必要だ。所々に照明があるので歩きにくいことはない。しばらく歩くと右に曲がる。結構奥まで深い。予想をはるかに上回る規模だ。
壁面は強固な岩盤ではあるが、地下水がにじみでていてこけが生えていたりする。真夏だというのに壕の中は寒いくらいである。さらに奥に進む。だんだん穴の大きさが大きくなってくる。観光客は僕達のみ。時々立ち止まってみると音が全く聞こえない。無音の世界。なんなんだこの感覚は。時折水のしたたり落ちる音が聞こえるのみ。
「ぴちゃ~ん」
もし一人だけだったら恐怖で失禁してしまうかも知れない。
曲がってから250mほどすると今度は左へ曲がるここからさらに250mほど奥に進む。最初に予想していたよりもはるかに大規模な地下壕いや地下要塞である。壕が縦横無尽に網の目のように掘られている。なんでも太平洋戦争末期に本土決戦に備えて、この地下壕に大本営、政府各省をここに移す計画だったらしい。首都機能移転である。恐ろしいことだ。動員された作業員はのべ300万人、当時の金で2億円の費用がかけられたらしい。
この工事では多くの人が亡くなっている。落盤事故、発破での事故、過酷な労働による病死、自殺など。壕の奥には供養のためか千羽鶴がたくさん飾られている。悲惨な戦争の遺構がこんなところにあるなんて思いもよらなかった。マスコミにもほとんど取り上げられたことがないのではないか。意図的に国が隠し続けてきたのかも知れない。戦争の汚点でもあるのだから。
施設は70%の進捗率で終戦を迎えた。なんでもこの工事を完成させるために沖縄戦でアメリカ兵を足止めさせていたとも言われている。こんなものを作らなければ終戦はもっと早く終わらせることができ、沖縄、広島、長崎の大量の犠牲者を出さずに済んだかも知れないのに。胸が痛む。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
瑠依瑠佳さん、お久しぶり。
元気ですかぁ?
松代の地下壕に食いつくとは、かなりのマニアですね。
ぜひ機会があったら訪れてみてください。
4月に派遣切りに会い、いまだにプータロー生活です。
さすがにプログラマーには戻りたくないので、再就職が
かなり大変です。
投稿: むくむく | 2011/08/29 17:49
ご無沙汰!
行ったことは無いのですが、
松代の大地下壕は、けっこう有名なところですよ。
あまり知られていないように感じるのは…
直接戦って死んだかたがいなくて、他のもっと悲惨な所にみんな目が行くので、あまりマスコミに出ないからというコトでしょうね。
(きっとマスコミがバカなんでしょう…)
マニア的には…
戦争末期に軍が再起を期して、財宝を隠したって伝説もあるそうで…
(よく、それ系の雑誌が特集やってるよ。)
投稿: 瑠依瑠佳 | 2011/08/29 15:30