あけましておめでとうございます
2012年がスタートしました。昨年はいろんなことがありましたが、今年は新規一転頑張ってまいりたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。

このブログも随分、放置しっぱなしでしたが、今年は少しでも多くアップできるよう精進してまいります所存です。
*写真は白須賀の海岸
2012年がスタートしました。昨年はいろんなことがありましたが、今年は新規一転頑張ってまいりたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。

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*写真は白須賀の海岸
いわずと知れた「川中島の合戦」が行われた史跡。ただ合戦は犀川と千曲川がはさまれた広範囲で行われていたのでここが主戦場というわけでもないと思うが。この場所から上杉謙信が陣取っていた妻女山を望むと、武田信玄の陣地であった海津城とは意外と近いことがわかる。こんな近くでにらみあってたとは現地に来て見ないとわからないものである。川中島の合戦は計5回、12年にも及ぶ。あの山本勘助や信玄の弟である信繁も亡くなっている。
長野と言えば「善光寺」、絶対はずせないスポットである。が長野にはスキーで何十回と訪れているが、実は善光寺参りは初体験。「このばち当たりがぁ~」と神様から怒られそうである。団体客が多く、人・人・人、ものすごい人手である。参道沿いにはみやげ物屋の呼び込みがさかんだ。本堂に入り「お戒壇巡り」をしようにも大行列にびびってしまい、「おびんずるさま」の頭をなでて退散いたしました。平成19年に大修理された山門も必見である。
絵を見るのってあまり好きじゃないんだよね。でも妻が美術品が大好きなので仕方ないです。まあこんな僕でも「東山魁夷」の名前くらい知ってますよ。青い森や湖の絵の中に馬とかいるやつでしょ。でもあまり好きになれないなあ。
【戸隠そば】
戸隠といえばそば。戸隠神社に向かう道沿いで適当に入った店が「大久保の茶屋」、創業200年の老舗らしい。そば定食の2300円は当然パス。にしんそばを食す。まあおいしかったです。本当はざるそばとかの方がよかったかも知れないけど、にしんが食べたかったんです。あと山菜3種盛りってのも頼んだけど、こちらはいまいちだったかな。「ってあんた、山菜あんまり好きじゃないでしょ!」って突っ込まないでね。
もうこの辺では「早く帰りたい病」にかかっていて、「もう神社なんかどうでもいいや」って思ってたけど、妻のどうしても攻撃に屈してしまった。帰りの運転の事を考えるとなるべく体力を消耗したくないのでありんす。それでもここは創建2000年の歴史を誇る由緒ある場所であるらしい。奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火乃御子社の5社からなる。
神社の周りは、美しい池が点在し戸隠の山々を眺められる絶好のスポットでもある。樹齢何百年という杉林の参道をのんびり散策するのもきっと素敵なんだろうなあ。機会があればまた再訪したいと思う。その時は電車で来ようかな。
美術にそれほど興味があるわけじゃないけど、好きな画家の一人。草の一本一本、瓦の一つ一つを細かく丁寧に描いている。その気の遠くなるような細かな描写がすごい。一見誰でも描けそうな絵だがそうでもない。日本全国を巡り、日本のよさを絵画にうまく残している。友人のさだまさしさんが館長をしております。
「美しい。」松本には何回か来ているが、なぜか松本城だけは来たことがなかった。思ったほど大きくはないが、黒塗りの城は珍しい。彦根城などに比べて破風(はふ)が少ないのでややすっきりとした感はある。平日にもかかわらず観光客が多く、天守閣に入塔するのに30分以上待たされた。
ここの温泉は結構有名。川中島の合戦でけがをした武者が、傷をいやすために入ったと言われている。湯殿は外来客も入れる外湯と宿泊客だけが入れるこじんまりとした内湯の2つに分かれている。鉄分が含まれているのか湯の色は茶色で薬効成分も何やらたくさん入っていて体にとてもよさそう。部屋もきれいで広く快適。ただ空調が古いのかうまくコントロールできなくて暑くなったり寒くなったりする。おまけに「ゴー」とうるさいので寝つきはあまりよくなかった。
8月18~19日と家族で夏休みの旅行に長野方面に出かけた。
宿を松代町にとった。ここは川中島の古戦場の近くで真田家の本拠地でもある。宿でくつろぎながらパンフレットを見ていると「太平洋戦争の遺跡・松代象山地下壕」が目に留まった。「どうせただの防空壕だろう。」と思ったがせっかくだから見てみたいと思った。
翌日朝一で地下壕に向かう。駐車場から結構離れていて徒歩7分くらいか。入り口に管理人がいるが入場料は無料である。「ヘルメットをかぶって下さい。」と気さくな感じの管理人のおじさんが言う。
「どっから来たの~?」
「静岡からです。」
「あー、そうですか。まだ夏休みですか?」
「はい。」
てな感じで人懐っこいおじさんは、客が僕達しかいないこともあり話し出したら止まりそうもない。ちなみに長野地方は夏休みが昨日(18日)で終わりで今日から始業式であるらしかった。
早速、壕の中に入ってみる。入り口はかなりせまい。最初は下りになっていて天井も低く、頭をぶつけてしまいそうなほど。足元はしめっており所々ぬかんでいるので注意が必要だ。所々に照明があるので歩きにくいことはない。しばらく歩くと右に曲がる。結構奥まで深い。予想をはるかに上回る規模だ。
壁面は強固な岩盤ではあるが、地下水がにじみでていてこけが生えていたりする。真夏だというのに壕の中は寒いくらいである。さらに奥に進む。だんだん穴の大きさが大きくなってくる。観光客は僕達のみ。時々立ち止まってみると音が全く聞こえない。無音の世界。なんなんだこの感覚は。時折水のしたたり落ちる音が聞こえるのみ。
「ぴちゃ~ん」
もし一人だけだったら恐怖で失禁してしまうかも知れない。
曲がってから250mほどすると今度は左へ曲がるここからさらに250mほど奥に進む。最初に予想していたよりもはるかに大規模な地下壕いや地下要塞である。壕が縦横無尽に網の目のように掘られている。なんでも太平洋戦争末期に本土決戦に備えて、この地下壕に大本営、政府各省をここに移す計画だったらしい。首都機能移転である。恐ろしいことだ。動員された作業員はのべ300万人、当時の金で2億円の費用がかけられたらしい。
この工事では多くの人が亡くなっている。落盤事故、発破での事故、過酷な労働による病死、自殺など。壕の奥には供養のためか千羽鶴がたくさん飾られている。悲惨な戦争の遺構がこんなところにあるなんて思いもよらなかった。マスコミにもほとんど取り上げられたことがないのではないか。意図的に国が隠し続けてきたのかも知れない。戦争の汚点でもあるのだから。
施設は70%の進捗率で終戦を迎えた。なんでもこの工事を完成させるために沖縄戦でアメリカ兵を足止めさせていたとも言われている。こんなものを作らなければ終戦はもっと早く終わらせることができ、沖縄、広島、長崎の大量の犠牲者を出さずに済んだかも知れないのに。胸が痛む。
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」
と昔からよく言われたものである。
東海道でも屈指の難所であった大井川に木造の橋が架けられたのは、1879年(明治12)1月13日である。ただ木造橋であったため台風や大雨による川の増水で幾度となく流されていた。そこで1965年(昭和40)に橋脚をコンクリートの頑丈なものに作り変えた。
現在の橋は、全長897.4m、幅2.4mで地元の人の通勤・通学にも使われている。1997年(平成9)にはギネスにも認定され全国的にも有名になった。
通行には大人100円、小人10円がかかる。橋を渡り始めるとみしみし揺れるのがわかる。橋の欄干に腰掛けてみるとちょっとスリルがある。ただ欄干が低いので川に落ちても当局は一切関知しないのでそのつもりで。度重なる風雨により橋のところどころが腐食していてはがれているところもある。数年毎に架け替えが行われているのであろうか。
幅がせまいので、復路を歩いてくる観光客とすれ違う時に肩が触れ合いそうになる時もある。接近するためか自然と「こんにちわ」とあいさつしてしまう。当日は雨が降ったりやんだりの曇空だったので、大井川の水かさも多く、橋のたもとを覗き込むと結構迫力があった。
アナログ放送が終了して1ヶ月近くが経とうとしている。うちには地デジテレビが1台あるが、もう1台はアナログテレビだ。当然今は休止状態(たまにゲームをするくらい)。それほどテレビは見るほうではないが、妻がテレビ大好き人間なので、たまに違う番組を見たいときに困る。
そこで今更ながらではあるが「地デジチューナー」を購入しようと思って家電量販店Kに出かけてみた。すると
「もう生産は終了しました。」 だの
「いつ入荷するのかわかりません。」
とか煙にまかれてしまった。
仕方がないのでY電器にも行ってみる。ここでも
「ありませんねえ。どこ行ってもないですよ。」
と鼻で笑われた。ひきつった店員の顔は、
(「何をいまさら言っている。地デジテレビを買えよ。貧乏人。」)
と語っていた。
これっておかしくないですか。国は勝手にアナログ放送を終わらせておいて、充分な量の地デジチューナーを用意していない。本来なら無料で配布してもいいくらいだ。
低所得者には無償で配布するらしいが、実はこれには、からくりがあって、無償で配布する代わりにNHK代金を今まで未納だった人は強制的に払わされるらしい。つまり地デジチューナーは無償でも、NHK料金が高額になるので結局は出費は膨らむわけだ。貧乏人いじめもたいがいにせえよ。(ちなみに僕はNHK料金はまじめにおさめてますよ)
普通の一般家庭ではテレビが2~3台あるのはあたりまえだと思う。全てのテレビを地デジTVに変えられる裕福な家庭はいざ知らず、地デジチューナーを買って、出費を抑えたい人はたくさんいると思う。ちなみにY電器でも、僕同様、地デジチューナーを探している人がいた。
究極の手段としては、録画機能付きのチューナーもしくはブルーレイレコーダーを買う方法もあるが、 安くても1万円は軽くオーバーしてしまう。困ったもんだ。
近所の定食屋さんです。見た目はボロイです。きたなシュランに出てもおかしくないくらいです。でもおいしいです。安いです。ボリューム満点です。お昼時になるとサラリーマンで結構、混み合います。ランチなら600円くらいです。マンガや雑誌もあるので長居しそうです。
おやじさんとおかみさんが切り盛りしているので、混雑する時はちょっと待たされるかも知れません。混むとお店に迷惑がかかるので場所は秘密にしておきます(って店名出てますねぇ)
写真はミックスフライ定食です。700円です。イカ、カボチャ、白身魚のフライです。山菜のあえものとつくだに?も付いてます。ふりかけはおまけかな。これだけ食べればお腹いっぱいです。他にも定食はいろいろあります。おすすめですよ。
最近、お腹の脂肪が気になって来たので、TVのCMでおなじみの「ナイシトール」を買いに薬局に行った。薬剤師の人に「【ナイシトール】どこですか?」と尋ねると、売り場まで連れて行ってくれたのはいいのだが・・・
他の製品を薦められた。それがこれ、「新コッコポアA錠」である。
「えっ、聞いたことがないぞ」
と心の中でつぶやいた。
本当は「内脂取ぉ~る」を買いに来たのに、店員の迫力に負けてしまった。
「いやぁ~、これはナイシトールより成分が多く入ってるんですよぉ。絶対お勧めですよぉ~。」
「はあ~、そうですかぁ。」
とりあえず「お試しサイズ」60錠入りを買ってきました。
飲み始めて2日ほど経ったけど、なんだかお通じがよくなったような気がする。もともとお通じはいい方なのだが、なんといっっても「●んち」の形、色つやが違う。体によさそうだ。しばらく続けてみよう。
これと並行して「コアリズム」も始めたので1ヶ月後が楽しみだ。それじゃ、また。経過報告を楽しみにねぇ~。
■浜岡原子力発電所
浜岡原子力発電所は、僕の住む浜松市から東に40Kmほどのところにあります。有事のときはここ浜松市は決して安全な場所とは言えないでしょう。福島原発事故を受けて管総理が、浜岡原発の停止命令を中部電力に出しました。そして昨日13日には4号機、今日14日に5号機の停止作業が行われました。1号機、2号機は既に廃炉となっており、3号機は定期点検のために既に停止中でした。
これで浜岡原発の原子炉全てが停止したわけですが、これは防災対策が終了するまでの話です。約2年かけて防災対策をし、それが完了したらまた再開するようです。ここで懸念すべき点があります。それは、①停止したからといって決して安全とはいえない。②停止した原子炉を再び再開できるのか? といった点です。
それぞれについて語るととても長くなるので省略しますが、停止→廃炉 に向けて、県民、いや国民の力で国に要請し続けていこうではありませんか。
■核燃料棒
ペレットと呼ばれるウランの塊が燃料棒の中に何個も入ってます。ロケット鉛筆を思い浮かべてもらえばいいです。ユニット式の鉛筆が何個も筒に入ったような鉛筆です。その燃料棒が何本も格納容器の中に入っています。
ウランというのは、少量で莫大なエネルギーを生むので、石油とか石炭に比べて燃料コストを大幅に削減できます。しかも使用済み核燃料を再利用できるのです。MOX燃料といわれるのがそれです。
燃料コストが安いからといっても、①防災の対策費、②事故があった時の保証費、③廃棄物の処理費など結局は莫大な費用がかかります。いままで(福島の事故以前)は①~③の事には目をつぶってきたのです。

■放射性廃棄物
ウランを燃やした後には当然かすが出ます。それが放射性廃棄物です。放射性廃棄物には低レベル放射性廃棄物と高レベル放射性廃棄物があります。
低レベル放射性廃棄物は、下の写真のようなドラム缶に入れられ、比較的浅い地中に埋められます。埋められる場所が限られるため、用地が確保されるまで特殊な倉庫などで厳重に保管されます。
やっかいなのが高レベル放射性廃棄物です。使用済み核燃料もそれで温度が下がるまで40~50年は専用施設で保管されます。その後、地下300mの岩盤に2重3重の防護をして埋められます。半減期が数万年かかるとも言われているので、その間にコンクリートが劣化して地下水に染み込まないとは断言できません。日本ではまだ実績がなく、今後埋設場所の選定が行われるらしいです。

■坂の上の雲ミュージアム
司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」に関する資料が展示されている。正直、僕はこの作品についてほとんど知らなかった。そういえば以前TVでも特番を組んでいたことを思い出した。帰静してから早速ネットオークションで「坂の上の雲」全巻を取り寄せた。本を読んだらビデオで見直してみるか。
■萬翠荘
大正11年、旧松山藩主 久松定謨伯爵の別邸として建てられたフランス風洋館。愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート作り。昭和天皇も宿泊したことがあるようだ。入り口を入るとなにやらカビ臭いにおいがした。「ちゃんとファブリーズしておけよ。」と受付のおねえちゃんに言いたかったがやめておいた。この建物の近くには正岡子規と夏目漱石が俳句を語った「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」という建物もあったが、気がつかず見学できなかった。残念!
■瀬戸大橋
「いやあ、でかい!」 間近で見ると迫力充分。与島PAで休憩がてら写真を撮った。車が通る車道の下には電車が通ってます。運がよければ電車が走っている場面に出会えるかも知れません。ここのPAの食堂は結構うまい(PAにしては)のでおすすめです。
この日松山を出たのが昼前で、浜松までの距離は600Km超。休日とあって休日割引が使えるのでもちろん全線高速道路を使ったが、家に着いたのが夜の10時過ぎ。GW前半の29日ということもあって途中渋滞にまきこまれた。
当初は「新名神→東名阪」のコースで帰ろうと思ったが渋滞15Kmと電光掲示板で出ていたので名古屋経由で
帰ることにした。旅の疲れと長距離運転のため、途中からは睡魔との闘いで、途中SAで仮眠を取ったりして、なんとか無事に帰ってくることができた。やはり強行軍はよくないね。せめて400Km/日くらいにしておかないと疲れるね。
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